三津田信三の「逢魔宿り」に見るホラー考察の本質

すみません、タイトル詐欺です。

本質とかないです、感想しかありません。
タイトルでドデカい事言っとくのが、マナーかなって……


さて、三津田信三の「逢魔宿り」は5つの実話怪談から成るメタホラー短編集です。


1つ目の話は「お籠りの家」

小山の上にある、360度ぐるりと柵に囲まれた和風建築の中で7日間「おこもり」をさせられる少年の話です。彼を柵の外に出そうと少年の姿で現れる存在の言動が怖い。

 

2つ目の話は「予告画」

児童が自分の死に様を予言するように絵に描く「予告画」という眉唾オカルト現象に関する話。自分の死ではなく、他者の死を予言する予告画を描く児童が怖い。

 

3つ目は「某施設の夜警」

奇妙なモニュメントが複数並ぶ、宗教施設の広場で夜警をする話。夜ごとに現れる怪異が怖い。あと、怪異と無関係に人間も怖い。

 

4つ目は「よびにくるもの」

祖母に頼まれて、気味の悪い家の法事に参加したところから始まる。それ以来、呼び鈴を鳴らして自宅を訪れる謎の存在が現れるようになり……


と、以上のように怖さが立て続けに襲い掛かってくる。

 

そして5つ目の「逢魔宿り」。

この表題作がもう怖い怖い。牛の首じゃないけど、言語化できない薄気味悪さ。

 

これ読んでて自分の感じた、ホラー考察のキモってここなんじゃね!?という気持ちを言語化して気持ちよくなってやろうというのが、この記事の目的です。

 

この本、全編に渡ってぼんやりと手掛かりらしきものがあるんです。それぞれ別の人から聞いた話なんだけど、話の構造が似てたり、舞台が似てたり、共通のアイテムが出てきたり。

でも、だからと言ってメモ取りながら読んでも怪異の正体が分かったりはしない(たぶん)。個人情報保護のために伏せられた情報が多い上に伝聞形式だから。

 

そういう「何か分かりそうだけど、何も分からん~~~!!!」っていうモヤモヤした読後感こそ本質ちゃいますんか?と思いました。答えが得られないおかげで、読了後も脳のリソースが解放されず、ふとした拍子に謎の答えを考えてしまう。そういう具合に、読んでる最中だけじゃなく読み終わった後も怖いのが良いなぁと思うんです。

 

結局なにが言いたいねんって話なんですが、分かる事より分かんない事の方が怖いとかそういうアレです。